奥穂高岳

奥穂高岳  (1973.10.5〜7 自炊小屋泊まり) 単独行

 初めての北アルプス、最初はやはり穂高連峰の盟主奥穂高岳だ!と決めて、紅葉のシーズン 10月上旬の連休に出かけた。
その年の夏 白峰三山を縦走したとき北岳から見た北アルプス 特に勇壮な槍・穂高の山々が目に焼きついていて、とにかくあの山へ登ろうということで。
50年近く前の時代。

 新宿発の夜行列車は、休日前夜で登山者が溢れ 何とか座席を確保したが、ボックス席では眠れるはずもなく殆ど一睡もせずに未明の松本に到着。
夜明け前の暗く寒い中 松本から電車・バスを乗り継いで上高地に着いたのは朝の5時半。 高地ではもう秋たけなわ 寒さが見に沁みた。

 バスターミナル付近の薄暗がりの中 一人淋しく朝飯を食べる 。出発は6時半、穂高の紅葉を楽しもうと続々とやって来る登山者や観光客に混じって歩き始めた。
さすがに穂高の山 登山者の装備・格好も凄いし、グループで来ている○○山岳会とか、○○隊とか 皆本格的に重そうなザックを背負い立派な靴を履いて快調に歩いて行く。
ほぼ普段着に近い格好に、安物の登山靴というわが身のみすぼらしさと比較して圧倒されてしまう。

 明神・徳沢・横尾を経由して涸沢に入り、そこから奥穂高岳山荘まで登り そこで1泊して明朝奥穂高岳の山頂を制覇し、往きのコースを下山する予定。
土日の連休ではこれが精一杯。 

 出発した時は、雲が低く垂れ込め河童橋辺りからは穂高の山は見えず、周辺の山も雲に隠れて何も見えなかったが、
2時間ほど歩いて徳沢園に来た頃には、空が明るくなって雲の間から青空が見えて来た。
上高地から横尾までは梓川沿いの平地を3時間も歩かなければならず、平地の3時間歩きは苦痛。
頑強そうな男性登山グループがノシノシと勢いを付けて追い越して行く。
 この写真は、徳沢から横尾までの途中 屏風岩慶応尾根の辺りに青空が出て来て、うれしくなって1枚撮った。

 

そして雲が見る見るうちに消えて真っ青な秋の澄んだ空が広がって来た。
屏風岩。青い空に見上げるほどにそそり立つ岩に紅葉・黄葉そして常緑樹の緑が色合いを添えて素晴らしい眺め。

 


これも同じ場所から。屏風岩の横後方に稜線が見えた。槍穂高の稜線上にある南岳かなと。さすがに北アルプス。

 

横尾に9時頃到着。平坦な道を歩くのはここまで。暖かい陽射しを浴びながら梓川の河原で休憩。
〜今の横尾付近は、立派な建物や橋があって、昔と全然違う雰囲気、昔は、休憩も河原の石ころに座って、何もなかったように思う。
足の裏が擦れているのか痛みを感じたので、登山靴と靴下を脱いで見ると 両足の裏の皮がペロリと剥けている。痛みよりその剥け具合に愕然とする。

 上高地からここまでの平坦な道歩きで靴下が靴にへばりついて皮と擦れたようだ。
この先進むのは無理かな?と思ったが、せっかくここまで来たのだから行けるところまで行こう、涸沢まででも良い、
と梓川の河原に燦々と降り注ぐ秋の暖かい陽射しに元気付けられて進むことを決めた。


 涸沢へ登り始めると紅葉がいよいよ見事になって来た。
澄んだ秋の陽射しを浴び 私が未だかって見たことのない鮮やかな紅葉に圧倒される。
都会や平地で見る朽ち葉の黒ずんだところが少しもなく、秋の陽を浴びて光り輝く黄色や赤色の葉が強烈。ため息が出た。
一人なので「凄いね!」「素晴らしい!」と声掛け合う人がいないのが残念。 
責めてこの光景を写真にと思い、途中で何度か立ち止まってはザックからカメラを取り出して撮った。


 途中 上高地からの平坦な道で○○山岳会と背中と胸に名前を縫いこんだお揃いの登山ジャケットを着て、
他の人を蹴散らすように勢い良く追い抜いて行った4人組の男性がバテてしまったようで、道端にゲンナリとした表情で休憩していた。
頑強そうな身体をしているのに「痩せ馬の先走りか」とその人たちを追い抜きながら内心小気味良く思った。
 

 

これは横尾から涸沢への道。 涸沢近くで撮った涸沢と奥穂高岳。右の方に奥穂高岳山荘へ向かうザイテングラードが見える。

 

見事な紅葉と眼前に迫る奥穂高岳の荘厳さに圧倒され続け。

 

これは 涸沢へ登って行く途中の右側にのしかかるように迫っている北穂高岳。

 

これは ある程度高いところから後を振り返って撮った。
南岳から伸びる横尾尾根方面だと思う。空の青さに黄葉が映えて眩しいほど。
写真でこの程度、現物は とにかく言葉に言い表わせないほどの絶景。

 

そして 痛む足を庇いながらも何とか横尾から3時間 昼の12時に涸沢に着くことが出来た。
ガイドタイム通りだったので、まずまず。
そこからの絶景にも驚かされた。真っ青な空に黒い岩稜と白い石、赤・黄色の鮮やかな紅葉と緑の常緑樹のコントラスト、何と言うカラフルな光景かと…。 
この写真は 正面に涸沢岳です。左側にザイテングラード その上の稜線上(標高3,000m)に奥穂高岳山荘が見える

 

登って来たところを振り返って撮った。左に穂高から槍へつながる稜線が続いている。
いつの日か 槍・穂高を縦走して見たいと…憧れを持って眺めた。

 

涸沢から遥か遠くに連なる常念岳・蝶が岳。これらの山々もいつかは、
と思っていたが、人気コースで混み合いそうなので尻込みしていて とうとう行けずじまい。

 

北穂高岳と涸沢小屋。
涸沢は、前穂高岳・奥穂高岳・涸沢岳・北穂高岳という3,000mの山々に囲まれ、いつまで眺めていても飽きない。
さすがに登山の基地で、山小屋の他に色とりどりのカラフルなテントが百近く敷き詰められていた。

 

涸沢が丁度昼だったので、岩の上に腰を下ろし見飽きることのない周りの山々を眺めながら昼飯を食べた。
足の裏が痛む。薬を付け絆創膏を貼ったのだが、痛みは和らがない。まだ歩けるだろうか?もうこれだけの絶景を見たのだからここで十分だという思いと、
せっかくここまで来たのだから奥穂高の頂上を何とか制覇したい という気持ちも強い。迷う。昼飯を食べながら迷った。

 結果 まだ行けそうだ。行けるところまで行って見よう!と決めて、1時間ほどの休憩後、テントの脇を通りながらザイテングラードへ向かった。
さすがにザイテングラードは急な登り。一気に直登で3000mの稜線上の奥穂高岳山荘へ向かう。
ドンドン高度を稼いで行く。 午後になると雲が増えて来た。下りの人が多い。痛むを足を庇いながら必死に登る。
 この写真は ザイテングラードを登る途中から撮った前穂高の北尾根。稜線まで紅葉が這い上がっている。

 

これも同じくザイテングラードを登って行く途中から撮った前穂高岳。足が快調なら奥穂高岳を制覇後 ここも制覇したいところでだったが。

 

ザイテングラードでの登りの途中で、何度も「この辺で引き返そう」「もうダメだ」と思いながらも 痛む足の裏を我慢して登った。
 昼も過ぎると登って行くのは自分一人、下りの人が多い。よほど疲れた顔をして登っていたのか、下りの人が皆「頑張って!もう少しですよ」と声をかけてくれる。
登山中声をかけられて元気をもらったのは初めて。

 そしてとうとう登り切った。ガイドタイムより30分ほど早い2時間で到着。前夜一睡もせずに上高地から8時間半の歩き、そして足の裏の傷の痛み、心身共にヘトヘト。

 登りついたところは、稜線というよりは奥穂高山荘のテラス。石垣が丁寧に積まれベンチやテーブルも置いてあって山荘の雰囲気。
さすがに北アルプスでも名だたる山荘だけはあるな と感心。

 到着したのが午後の3時。3000mの稜線、陽射しがなくなり霧も出て来ると急激に寒くなって来る。やはり夏山とは違う。
秋の陽はつるべお落としというが、一気に夕闇へ向かって行く。
宿泊手続きを済ませ 小屋の外で強い風に苦労をしながら晩飯を作り素早く食べて、いつもはシュラーフ持参なのに、
今回は小屋の薄汚れて湿気を含んだ汚い布団を借りて早々にかぶって寝る。
 周りでは、小屋の食事待ちで登山者がワイワイざわめいている中で、
前夜一睡もしていなかったのと足の痛みで疲れきっていたせいで、夕方5時半頃横になってすぐ眠りについてしまった。

2日目)
翌朝 ここまで来たのだから何としても奥穂高岳を登頂しようと朝の四時頃に目を覚ました。
5時半に寝て一度も目を覚ますこともなく11時間近く眠り続けていたようだ。
これだけ眠ったのだから 元気一杯と行きたいところだが、外は無残にも雨。それも冷たい雨。
とにかく小屋の軒下でコンロで朝飯を作って食べたが、一向に雨はやむ気配がない。

風が強くなり横殴りの雨。この激しい嵐のような雨だと とても山頂へは難しい。
しばらく奥穂高山頂への岩場にかかったハシゴ段を見て誰か登って行かないかな とまったが、誰も行きません。
3時間ほど待ち続けたが、雨は激しくなる一方で、また登る人も誰一人いない。

 ここまで来て引き下がるのが 悔しい。次回はいつ来れるか分からない。
一人でも慎重に行けば大丈夫だと思う と悩んだが、いや!やめておこう、身体のどこも悪くなくともこの天候では危ない、
滑落や道に迷う危険性が大きい、普通の山道なら何とか行けても 横殴りの激しい雨の中 岩場の登りは無理だと とうとう観念して 下山することにしたのが8時過ぎ。

 今から降りて行けば 夕方3時の上高地発のバスに間に合う。そうすると8時松本発の特急あづさに乗れて今日中に帰れる。
ガイドタイムは、6時間ほどだ 何とか間に合うだろうと 雨の中 降り始めた。

 ザイテングラードを慎重に降り 涸沢から横尾までも 痛い足と時間を気にしながら一歩一歩降りた。
横尾に着いて さあ あとは3時間ほどあるけれど平地だ 大丈夫だと 歩き始めたが、
これが足の裏への負担がかかってしまったようで 猛烈な痛みとなり、その痛みを庇うために変な歩き方をしたためか他の部分も痛くなり、
10歩歩いては立ち止まりの歩き方になってしまう。雨は小降りになって来たが、秋の山の雨で寒さもきつい。
油汗を掻きながらの歩行。這って行きたいほどの痛み。次々と他の登山者に追い越され、3時のバスに間に合うかどうかと焦りながらの歩行。

 諦めて途中の徳沢園で泊まることも考えたが、歯を食いしばって歩き続けた。
山へ登り始めてこれほどの辛い思いをしたのは始めて。
途中で休憩していると どこかで拾った木を杖替わりに足をひきづりながらびしょ濡れになりながら一歩一歩歩いて行く登山者を見て
「ああ 同じような境遇の人もいるのだ。頑張らなくては!」とまた立ち上がって歩き続けました。

 必死の思いで上高地には4時過ぎの到着。ガイドタイムより2時間オーバー。
まだ雨が降り続いている。3時のバスに乗り遅れたので 仕様がない 行けるところまで行こうとバスターミナルへ行くと 
この雨で釜トンネルの近くで土砂崩れがあってバスは現在不通となっているとのこと。
しばらく行列を作って並んで待っていると、釜トンネルのところだけ一旦降りて歩いて迎えのバスに乗り換えるということで出発となった。

 松本駅に着いたのが 最後の新宿行き特急あづさが出発する8時5分前。痛い足で必死にホームを走ってギリギリ乗ることが出来、また座席に座ることも出来た。
「ああ これでとにかく新宿まで帰れる」と このときの安堵感は 言葉で言い表わせないものだった。

〜今から思うと松本付近でどこかに泊まっても良かったのだが、次の日出勤だったので、とにかく帰らなければの一心だった。

 今回の登山は、秋の穂高への挑戦だったが、足の怪我と豪雨により 奥穂高岳山頂を制覇できなかった。
今となっては山頂制覇しようがしまいがどうと気にもなりませんが、当時は若かったせいかしばらくは敗北感を抱えて、次こそはという思いだった。

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